仏教用語の知恵

がんばれない日の自分に伝えたい言葉

こんにちは。慶国寺の渡辺知応です。

今月は仏教用語の「無限(むげん)」について
少しお話ししたいと思います。

私たちは日々の暮らしの中で、
「もう限界かもしれない」と感じる瞬間があります。

家事や仕事、人間関係に追われ、
思うようにいかないとき、
「これが自分の精一杯だ」と
肩を落とすこともあるでしょう。

けれど、そんなときこそ、
仏教の視点がヒントになることがあります。

仏教で「無限」とは、
単に数字が大きいとか、
終わりがないという意味だけではありません。
もっと本質的な意味合いがあります。

それは、
「人間の命や心は、想像以上に広く、深く、成長する余地を持っている」
ということです。

たとえば、
ある人が誰かにひどい言葉をかけられたとします。
普通なら腹が立ち、
仕返ししたくなるでしょう。
でも、その感情に流されず、
「どうしてこの人はそんな言葉を発したのか」と
一歩引いて考えてみることで、
自分の心に少し余裕が生まれます。
そこに“限りない思いやり”が芽生えるのです。
これが仏教でいう「無限の心」の一つのかたちです。

法華経の教えでは、
人間の持つ可能性や力は決して一面的なものではなく、
だれもが本来、“限りない価値”を持って生きていると説かれます。
自分には何もない、
あの人のようにはなれない…と
比較してしまうこともあるかもしれませんが、
本当は誰もが、自分だけの“輝き方”を秘めているのです。

日常の中では、
すぐに結果を求めたり、
「できる・できない」で
物事を区切ったりしてしまいがちです。

でも、ちょっと立ち止まって、
「今日より明日、ほんの少しでも成長できたらいい」と
考えるだけで、心は広がっていきます。
そうした積み重ねが、やがて“限界を超える力”になります。

無限の心とは、
完璧を目指すことではなく、
「変わり続ける自分」を信じることです。
そして、自分だけでなく、
他者にも同じように
限りない可能性があると見ていくこと。
それが、思いやりや優しさにつながっていきます。

毎日を生きるなかで、
立ち止まったり、
つまずいたりすることもあるでしょう。
そんなときに、
「自分はまだこれからだ」
「相手にもまだ伸びしろがある」
と信じてみること。
それが、仏教が私たちに伝えてくれる“無限”の心なのかもしれません。

渡辺知応

渡辺知応

長秋山 慶国寺 副住職

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