
こんにちは。慶国寺の渡辺知応です。
今月は仏教用語の「切ない(せつない)」について
少しお話ししたいと思います。
皆さんは最近、「切ない」と感じたことはありますか?
ふとした瞬間に胸がぎゅっと締めつけられるような、
なんとも言えない気持ちになること。
たとえば、
思い出の曲を聞いたとき、
懐かしい景色を見たとき、
あるいは誰かとの別れや、
心から願ったことが叶わなかったとき。
そんなとき、私たちは自然と「切ない」という言葉を使いますよね。
この「切ない」という言葉、
もともとは「切(せつ)に願う」
「心から強く求める」といった意味を持っていました。
「切」は、「強く」「ひたむきに」という気持ちを表す漢字です。
そこから時代とともに意味が広がり、
今では「胸がしめつけられるような」
「やるせない」
「苦しくて悲しい」といった、
複雑で深い感情を表す言葉になっています。
実は、仏教の教えの中にも、
この「切なさ」に通じる心の動きがあります。
それが「苦(く)」という考え方です。
仏教では、
「人生には思い通りにならないことがある」と教えています。
たとえば、
望んだ結果が得られなかったり、
大切な人と別れてしまったり、
自分ではどうにもできない状況に直面したとき。
こうしたとき、
私たちは自然と「切ない」と感じるのではないでしょうか。
しかし仏教では、
そうした「苦しみ」の原因を外の世界だけでなく、
自分自身の心の中にも見出します。
それは、
「こうあってほしい」
「こうでなければならない」
と強く願う「執着(しゅうじゃく)」です。
切ないと感じるとき、
私たちは実は、
自分自身の願いや期待の強さに
気づかされているのかもしれません。
逆に言えば、
その切なさの奥には、
自分が何を大切にしているか、
自分の本音が隠れているのです。
だからこそ、
「切ない」という気持ちは、
けっして否定すべきものではありません。
むしろ、その感情を手がかりにして、
自分の心を見つめ直すことができる
貴重な機会だと捉えてみてください。
心が揺れ動く瞬間には、
気づきや癒やし、
そして成長の芽が宿っています。
切ない気持ちになったときには、
それをそっと抱きしめながら、
「私はなぜ、今こんなふうに感じているのだろう」と
静かに問いかけてみましょう。